2.「信頼できる情報」とは何か
エビデンス:根拠に基づいた保健医療
2.「信頼できる情報」とは何か
『これからのヘルスリテラシー 健康を決める力』(講談社、2022)
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1. エビデンスとはなにか
「エビデンス」は日本語にすると「証拠」「根拠」という意味になります。保健医療で用いる場合には、よく「根拠」という言葉が使われます。それは、科学的根拠、つまり実験や調査などの研究結果から導かれた「裏付け」があることを指します。
「できるだけ健康に良いことをしたい」「効果のある治療や投薬を受けたい」という思いは、多くの人々に共通の願いだと思います。その願いに応えるために、多くの研究による検証が行なわれ、その結果に基づいて、多くの健康法や薬が開発され、病院で治療が行われています。
近年では、市民の健康意識が高まっています。みなさんはテレビや本、インターネットなどで、健康・医療に関する数多くの情報を入手することができます。しかし、必ずしも全ての情報が、「正しい」「効果がある」と言い切れないのも事実です。例えば、TV番組で紹介された健康法に十分な「エビデンス」がなかったり、「減量できる」「ガンに効く」といって売られていた商品に十分な「エビデンス」がなかったりということは、少なくありません。「エビデンス」を伴わない不確実な情報にもかかわらず、誇大に宣伝されることで消費者である市民が殺到し、混乱することも近年よくマスコミを騒がせている現象のひとつになっています。
だれかに薦められたり、大きく宣伝されたりしているというだけで、健康法や薬や治療法を選ぶのは危険です。その方法が「エビデンス」に裏付けられたものであることを知った上で選ぶことの大切さは、それがその人の生命にかかわる問題である以上、いくら強調しても、強調しすぎることはありません。健康・医療情報の選択をするときには、インターネットをはじめとしたさまざまな情報源から得られる健康情報の背後にある「エビデンス」を知り、健康・医療情報の正しさについて判断することが、これから大切になってくると思われます。
エビデンスに基づいた治療・ケア・健康教育といった保健医療活動は、EBM(Evidence Based Medicine;エビデンスに基づいた医療)、EBN(Evidence Based Nursing; エビデンスに基づいた看護)、EBHC(Evidence Based Health Care; エビデンスに基づいた保健活動)といった略語で呼ばれます。歴史的には医師や看護師などの保健や医療に携わる専門家は、ある一定のエビデンスを除いては、それまで伝えられてきた伝統や習慣、それぞれの個人的な経験と勘に頼った治療やケアを行っていました。しかし、患者からは、そうした経験や勘だけではなく、より確実なエビデンスに基づいた治療、ケアが行なわれ、効果のある治療を期待する声が広まってきました。
こうした「エビデンス」は科学的根拠というその名の通り、科学的に作られるものです。科学的というのは、基本的には客観的であるという意味であり、これは誰の目で見ても明らかということです。そうして今、このエビデンスは治療を受ける患者も知ることができるようになってきました。では、そのエビデンスというものはどこで見ることができるのでしょうか。
2. エビデンスのありか
一般的に、エビデンスは研究者の手による研究論文という形にまとめられ、学会が刊行している学術雑誌に投稿されます。学会がその論文を掲載するかどうかを判断し、定期的に出版されるものが学術雑誌です。つまり、エビデンスは学術雑誌にまとめて掲載されていることになります。これらの学術雑誌に載っている論文は、その雑誌を購読すると読めます。しかし、雑誌の数は膨大で、日本の医学系の雑誌は、医学中央雑誌(医中誌Web)という論文の情報を集めたデータベースにあるものだけで6000誌以上あります。したがって、多くの人は、このデータベースで探したいキーワードで検索をして論文を探しています。病気の名前などで検索することができます。個人で使う場合は残念ながら有料になりますが、医中誌Webを使える公共図書館や患者図書室などがあります。また、CiNii(サイニィ)という国立情報学研究所の論文、図書・雑誌や博士論文などの学術情報で検索できるデータベースがあり、この中には医中誌Webのデータも入っていて検索が可能です。ただし、検索するときに医中誌Webのように類義語を探してくれないので、可能性のあるキーワードをいくつか入れたほうがよいです。例えば、「認知症」について調べたい時は、他にも「認知障害」や「認知機能障害」が使われている論文もあるので、その言葉で探す必要があります。
また、海外のさらに膨大な医学系の雑誌では、アメリカ国立医学図書館の論文データベースPubMedがよく使われています。これもキーワードで検索できますが、英語が基本です。
これらのデータベースで探した雑誌や論文は、大学の医学部や薬学部、看護学部、歯学部等に併設されている図書館やその他の国公立の図書館などで閲覧することができます。ただし、利用資格は図書館によって異なりますのでホームページなどで調べてから行く必要があります。図書館でお目当ての論文が載った雑誌を探すには、所蔵している文献の情報(書誌情報)がたいていは電子化されていますので、検索用の端末に自分でキーワードを入れるとその内容を扱っている雑誌記事を検索することができます。その図書館では所蔵されていない雑誌の場合は、窓口で相談すれば他の図書館の紹介や取り寄せる方法などを教えてくれるでしょう。
実際、発行される論文の数は実に膨大で、医師でも最新知識を保つのには1日に19本の論文を読む必要があると言われます[1]。それは医師でも不可能です。しかし、患者なら多くは1つの病気についてだけなので可能で、これがEBM時代の患者像なのかも知れません。しかし、必ずしも論文を一本一本読まなくても、あるテーマにそって論文をまとめたものが存在します。専門家が集まって作成する一般的な治療の基準を示した指針である「診療ガイドライン」が1つです。それらを集めた医療情報サービスMindsや東邦大学医学メディアセンター診療ガイドライン情報などがあります。海外では、アメリカのNational Guideline Clearinghouse (NGC)があります。
また、同じように世界中の論文を要約した、いわば世界のエビデンスを集積したデータベースとして、コクランライブラリーがあります。国の医療政策の決定や実際の医療現場での治療指針をつくるために、これまでの研究成果をまとめて、全体として1つの結論を得ようとするものです。本当に有用な治療効果や予防効果などがあるのかどうかを判断しています。詳細は契約が必要ですが、要約は無料で読めます。英語が基本ですが、日本語版で翻訳が進められていて一部が検索可能になっています。
たとえば、英語版では、トップページで「lung cancer」(肺がん)と入力して検索すると、予防効果のある薬品、緑茶の予防効果など結果の一覧が出てきて、前者を選んでさらにPlain language summary(わかりやすい言葉での要約)をクリックすると、一言「健康な人に肺がんの予防のためにビタミンを処方するべきではない」と書かれています。最初から無料の要約目当ての場合はこちらからアクセスすると早いです。このように、ほぼ最新の世界の研究の結果のまとめを(英語を中心に)読めるようになっています。
学術雑誌やその要約以外のエビデンスについては、文部科学省や厚生労働省が研究助成金で行われた成果の報告書やその概要を公開しています。日本の多くの研究がこのような公的な助成金を中心に、その他民間の助成金などで実施されています。文部科学省については、科学研究費補助金データベース、厚生労働省については、厚生労働科学研究成果データベースで検索することができます。
そのほか、市民のみなさんがわかりやすいように、専門家がエビデンスをかみくだいて説明した本やインターネットのサイトもあります。ただし、こうしたものの中で紹介されている情報は、大変に優れたものもある一方で、エビデンスに基づいているものなのか不明瞭なものも見受けられます。手元にある情報が信頼できるものなのかどうかを見極めるときに役に立つのが、どの程度のエビデンスなのか、言いかえるとエビデンスのレベルと呼ばれる目安です。このエビデンスのレベルがどのようなものかを確認すると、その情報の信頼性がみえてきます。
3. エビデンスの信頼性を左右するバイアスの種類
エビデンスのレベルは何によって決まるのでしょうか。エビデンスを作るための実験や調査では、「誤ったエビデンスを導きやすい要素」をできるだけ排除する方法を採るように工夫していますが、100%排除しきれないのが現状です。こうした、誤ったエビデンスを導きやすい要素のことを「バイアス」と呼びます。
バイアスとは、本来測れるはずだった正しい「真の値」から、ある方向へずれさせてしまう要因があって、それによって全体の結果に「ずれ」が生じることを指します。言いかえれば、ある一定の方向への「偏り」があるということです。実験や調査は世間の全ての人を対象に行っているわけではなく、そこから必要な人数を選んで行われていますので、偏りが全くない研究というものは存在しません。もちろん、研究を行う際には、必ず、この偏りが少ないように研究方法を工夫しなければならないのは言うまでもありません。したがって、エビデンスを利用する際には、バイアスをきちんと排除できているかをチェックすることが大事になってきます。
そのカギとなるのが、バイアスの種類についての知識です。バイアスには、研究対象者を選ぶときに生じる「選択バイアス」、測定方法などによって観測値に生じる「情報バイアス」、本当は関係がないのにそう見えてしまう見せかけの関係が生じる「交絡バイアス」と、主に3種類があります。そして、それぞれの予防策や対処方法があります。その研究ではどんなバイアスの種類があるのかを見きわめると、どのように対処すべきなのかがおのずと見えてきます。代表的なバイアスについては、エビデンスの見方【資料編】に示しましたので参考にしてください。
4. エビデンスの「レベル」とは
本や雑誌、インターネットなどで専門家が示している情報がどの程度信頼できるものなのかをチェックするときには、その情報のエビデンスの「レベル」をみるとよいことが多くあります。このエビデンスの「レベル」は、できる限りバイアスを排除する努力の程度ともいえるでしょう。つまり、バイアスの排除の仕方、言い換えれば、エビデンスの「作られ方」によって決まってきます。エビデンスは主に「実験」と呼ばれる研究方法で作られます。実験というと、理科を思い出す人も多いかと思いますが、健康に関連した科学の分野では「物質」ではなくて「ヒト」を対象とした実験が行なわれます。「ヒトを対象に」といっても、人権を尊重し、研究参加者と研究者との厳密な契約のもとで行われています(日本医師会:ヘルシンキ宣言【日本語版】参照)。
こうした、新しい健康法や治療法、新薬の開発などを目的として「ヒト」にたいして行われる実験のことを、「臨床試験」あるいは「治験」とも呼ばれています。
また、エビデンスを求める手法として実験以外の方法もあり、重要な役割を担っています。薬や健康法、治療方法といった新たな方法の効果を見るためには、実験が欠かせません。しかし、ある病気(例えば、心筋梗塞など)の発生につながりそうな「生活習慣」や「生活状況」を突き止めるときには、実験ではなく、多くの患者のデータを集める「調査」を行います。この実験と調査の違いは、対象者に何らかの介入があるかどうか、例えば薬や食品を食べてもらったり運動してもらうなど、何かをしてもらうかどうかです。実験は介入研究とも呼ばれ、調査は介入はしないで観察しているだけなので観察研究とも呼ばれます。
こうした調査には、主に2種類の調査があります。1つはコホート研究で、もう1つが症例対照研究です。コホート研究は、まず対象者に調査をして現在の健康や生活の状況(例えば喫煙など)を調べて、その後、健康状態を観察し続けて、どのような人に健康の変化(例えば、がんの発見)があったかを明らかにします。時間的に見ると前向きな研究ともいわれます。症例対照研究は、その逆ともいえます。現在、健康状態の違う2つのグループ、例えばある高血圧の人とそうでない人を比較して、過去にどのような生活をしていたか振り返って聞くものです。後ろ向き研究といわれます。これらのどちらにも3種類のバイアスの入り込む可能性があります。
一般に、エビデンスのレベルでは、このような調査よりも、実験のほうが高いとされます。実験のほうが、バイアスを排除するように計画して研究ができるからです。観察する場合、コホート研究では、どうしても途中で何かが変化してしまったり(例えば喫煙者が一時期禁煙してしまうとか)、症例対照研究では、どうしても過去のことは記憶が確かでないなどのバイアスが入ります。実験であれば、対象者に確実にある状況の違いをつくり出すことができる点で優れています。
ただし、実験研究の場合も、対象者の研究協力への同意をとって、いつやめても問題ないようにすることが大前提ですが、研究に参加しなければ起こらないことをするわけです。どんな予想もしない影響が出ないとも限らず、リスクはまったく0だとは言い切れません。したがって、すでに先に行われた観察研究などで、十分に効果が期待できるものでないと実験することは望ましくありません。実験にいたる手前の調査もレベルが低いからといって意味がないわけではなく、対象者になるべく負担をかけない範囲で一定のレベルのエビデンスをつくる上では大切なものです。
また、研究結果が偶然である確率は対象者が少ないとかなり高くなります。例えば、日本人女性から無作為に選んで5人ずつの2つのグループをつくります。この2グループの平均体重で、偶然に差が起こる確率をおおよそで計算してみると、4kg以上の差が出る確率は2分の1近くあります。これが20人ずつなら、4kg以上の差は4分の1ぐらいの確率に減りますが、2kgの差の確率は2分の1近くあります。偶然で4kgの差が出る確率を考えるとかなり人数が必要なことがわかります。
このようにして、偶然の結果ではないと判断できるために必要な対象者数は、事前にある程度予想することができます。したがって、研究において一定数の対象人数は重要です。数名程度での実験などはあまり意味をなさないことがわかるでしょう。
また、少ない人数では、偶然を否定できないだけでなく、それらの人が、誰を代表していると言えるかが問題です。人類の代表と言えるでしょうか。日本人の代表、少なくともその性別のその年代の日本人を代表していると言えるかが問題になります。例えば、テレビや雑誌での実験に出てくるタレントや、応募で参加しているアルバイトの若者などは、誰を代表しているのでしょうか。
このように、エビデンスや研究を見る目ができてくると、論文もさることながら、テレビや雑誌で行われている簡単な実験の持つ意味について考えられるようになってきます。ものごとの因果関係を証明することの難しさと同時にその大切さもわかってくると思います。日常生活でも、何かすすめられた食品などで自分や家族・友人に効果があったという場合にも、どのようなバイアスなどがあるか考えてみるといいかもしれません。
これらのエビデンスの見方については、エビデンスの見方【資料編】で、より詳細な内容についてまとめました。代表的なバイアスに加えて、代表的な研究方法とエビデンスレベル、結果の偶然と対象者数、母集団とサンプルの代表性の解説がありますのでご覧ください。
(戸ヶ里泰典、中山和弘)2018年5月11日更新
文献
[1]J.A.ミュア・グレイ:患者は何でも知っている-EBM時代の医師と患者.中山書店、2004
コメント
母親が以前、悪性リンパ腫になりましたが生還しました。コクランライブラリで、悪性リンパ腫(malignant lymphoma)を調べたところ48のシステマティックレビュー(Cochrane Reviews)と418の臨床試験(Clinical Trials)がすぐに表示されました。これが前回母親の時にあれば、主治医の方のしていることの理解ができたと思います。次回、大病をした時はコクランライブラリで調べ最低限、主治医の方がされることを理解してみようと思えました。
pluto 2011年5月18日22:44
私が習った頃の高校数学では、確率・統計はたしか数Ⅲに入っていた。文系の大学入試に出題されることはなかったので、ほんのさわりで終わってしまった。つまり多くの者は統計的リテラシーなどないに等しいのではなかろうか。驚いたことに、これは半世紀近くもそのままであったようだ。今回の高等学校指導要領改訂で高校1年から統計的内容の一部が必須になったようだが、その成果が出るのはいつのことやら。その一方で、パソコンが普及してアンケート集計や統計の処理は格段に便利になり、統計数字がはびこっている。その意味をどれだけの人が理解できるのだろうか。専門家が示したデータだから正しいのだろうと思って信じてしまう。EBMやEBHCは必要ことだが、一朝一夕には身につかない。まず中等教育で統計リテラシー教育をする必要があると思う。
はたよし 2011年5月26日12:27
根拠に基ずく医療において信頼できる情報の必要性と難しさを考える事ができた。
しかし、中央と地方との医療の格差は大きいものがあるのが現実と感じる。
地方の高齢者では、選択肢さえないのが現実であると言ってもいい。
口づてに聞いて信じ、そこの医師にすべてを委ねていることも現実にある。裏を返せば選択肢が他にないからすべがないと言うことにもつながるが人の命には変わりはないと思う。
ここのテーマである信頼できる情報までも行きつかない現状があるのも事実。
高齢者夫婦が直面に立った時どのような信頼できる情報を得ることが出来るのか難しい現実だと感じる。
どこから信頼できる情報を発信すればいいのか考えさせられた。
T.M 2011年5月27日22:26
市民に開かれたエビデンスのある情報が少ないと思った。市民の方の認識としてインターネットで得られる情報の中でエビデンスが高いものとして医療機関や公的機関の情報を挙げているのに、その情報を得るためのサイトは有料のもの、英語のものがほとんどで開かれていないと思った。また雑誌で探そうと思っても医療系大学の図書館など専門的な場所にしか置かれておらず、市民の人や患者さんがエビデンスの高い情報を得る環境にないと思った。
てんとう虫 2013年6月 3日22:53
医師が最新知識を保っているためには一日に19もの論文を読まなければならないという記載を見て実に驚きました。日本では病院単位の医師不足も深刻であるのに、医師がこの数をこなしていくのはほとんど不可能でしょう。だからこそ、患者が自身の身体について調べたいという考えが生まれ、医療についてもEBMを必要としてきているのだと考えました。ただ、ヘルスリテラシーがなければそうした考えを実行に移すことは難しいと思います。特に、バイアスのことやエビデンスレベルのことは患者にとって二の次の問題であるような気がします。患者は、まず自分にとって都合の良い情報を集めるだろうと考えるからです。きちんとこれらの知識を持って、情報を選別しながら収集している患者は、少ないのではないかと考えます。医師よりも患者の方が自身の疾患の最新知識に詳しいような時代になってきているのかもしれませんが、やはり情報の発信源を医師が見極めることが必要だと思いました。
ゆず 2013年6月24日22:10
日本の医療行為の全てが必ずしもエビデンスに基づいたものであるとは限らない。逆に日本の医療行為として認められていない治療、特に代替医療などでエビデンスに基づいたものも多く存在する。日本の医療制度を抜本的に改革するには、まずは既存の医療行為やそれに付随する医業類似行為の既得権益を見直し、果たしてこうした医療が社会のニーズに対応しているのか見直す必要がある。統合医療はまだ日本では広く制度として確立されていないが、このような動きの中で医療制度の抜本的改革がおこなわれることを期待したい。そのためには西洋医学の医療や代替医療をヘルスリテラシーを交えて一つ一つ精査していく必要があると思う。
http://www.ejim.ncgg.go.jp/public/index.html
Teiken 2016年1月 6日11:41