人とのつながりが健康をつくる
7.健康を決めるために市民ができること
『これからのヘルスリテラシー 健康を決める力』(講談社、2022)
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1.助けられることと健康
人生にはいろいろなことがあります。時には自分ひとりでは抱えきれないほどの大きな悩みにぶつかることもあります。そして、悩みのあまりの大きさのために心や身体が病気になってしまったり、時には命を自ら絶ってしまうことさえあるのです。それほどまでに、心と健康は密接な関係にあるといっていいでしょう。
悩みを聞いてくれたり、アドバイスをしてくれたり、気分転換に誘ってくれたりする人は周りにいますか?そのような、周りの人々からの有形無形の援助をソーシャルサポート(社会的な支援;social support)といい、こういった人々とのつながりをソーシャルネットワーク(社会的紐帯[ちゅうたい];social network)といいます。
どのように定義づけるかについては様々な議論がありますが、「ソーシャルサポート」そのものには多くの研究者が注目しています。その理由は、「人間関係と健康は深い関係があるから」ということに他なりません。他者からの支援は、悩み、苦痛、苛立ちなどを和らげたり、その発生を防いだり、ストレッサーの影響をストレス反応に結び付けない効果(緩衝効果)があることが多くの研究から明らかになってきました[1]。
職場でのストレスを例に挙げましょう。職場でのストレスは、仕事のノルマのみならず、職場仲間との人間関係、職場配置、賃金、昇進等さまざま考えられます。「看護婦におけるバーンアウトーストレスとバーンアウトの関係」の著者、久保真人,田尾雅夫らは、バーンアウト(燃え尽き症候群)を決める要因の1つに社会的な支援を挙げ、良好な支援があることはバーンアウトを抑制する効果があることを明らかにしました[2]。
ストレスにさらされて苦境に立っている人にとって、その原因を直接的に取り除いてくれるような援助や、苦しい心情に共感的理解を示してくれる人の存在は、ストレスを和らげる効果をもち、バーンアウトを未然に防ぐことになります。どのような人間関係を構築するかは、心と健康にとって非常に重要な問題なのです。
こうした社会的な支援は、つぎのようなものがあると言われています。
(1) 手段的(道具的)サポート
→物質的、手伝いをしてくれる
(2) 情緒的サポート
→共感、認める、ケア、傾聴
(3) 情報的サポート
→知識、情報、アドバイスをしてくれる
(4) 交友的サポート
→いつも一緒に遊びにいくなどで所属感を満たしてくれる
(5) 妥当性確認
→行動の適切性、規範性の情報提供、フィードバックをしてくれる
社会的な支援が大事だと言っても、多くの人が周りにいれば良いというわけではありません。大切なのは人間関係の質です。支えられる本人にとって、どのようなつながりが本当に大切なのかを考える必要があります。そして忘れてはならないのは、支えられる人もまた誰かを支えているということです。それは金銭的、物理的のみならず、社会的、精神的に支えあっていることを意味します。このことを意識することだけでも、より精神的に豊かな生活を送ることができるのではないでしょうか。
2.助けるだけでなく助け合う関係があることが健康につながる
1)お互いの「信頼関係」が注目を集めている
社会的な支援は助ける人から、助けられる人への一方通行の関係ですが、助けられることだけでなく人を助けることも健康にとって大事であると言われています。こうした、お互いに助け、助けられる、助け合いの関係にあることを専門用語で「互酬性(ごしゅうせい)」あるいは「互恵性(ごけいせい)」(reciprocity)がある関係といいます。この互酬性があるつながりというのは、人々の信頼関係によって成り立ちます。互酬性がある地域は信頼関係が強い地域になります。 個人間の信頼ある関係が多くある地域は、安心できたり、安全であったり、みんなで定めたルールを守っていたりするなど、住みやすい特徴が認められます。最近、このような、地域に住む人たちがお互いに信頼し合っていたり、多くの人が安心感を抱いていたりする、人と人との間にある関係のことを、ソーシャルキャピタル(社会関係資本)といい[3,4]、注目を集めています。ソーシャルキャピタルは、お金(金融資本)、住んでいる土地(物的資本)、自分の能力や健康(人的資本)とならんで、その人がその人らしく生き、生産的な活動をしていく上で必要な「資本」のひとつといわれています。ここでは、ソーシャルキャピタルをわかりやすく「信頼関係」と呼んでいきます。
2)信頼関係に注目する理由は「格差」問題から
これまでは、私たちがよりよく生き、社会を活性化するためには、お金やモノがあればなんとかなると思われてきました。しかし最近になって世界的な不況や、それに伴う市場中心の「小さな政府」といった政治路線によって一層ひどくなった社会格差の問題などから、それだけでは不十分であることが分かってきました。信頼関係(ソーシャルキャピタル>)に関する研究は、主に米国の研究者達によって積極的に行われてきました。
米国では殺人事件による死亡が10代の若年層の死因の2位であり、34歳以下の黒人の死因の1位にもなっています[5]。米国では、徹底していわゆる小さな政府(limited government)の路線を続けており、個人の自己責任を重視する社会になっています。その結果、貧富の差が拡大し、貧困者の増大だけでなく、モラルの低下や犯罪件数の増加などが目立っています。つまり、社会格差が大きい地域であると、人々がお互いに助けたり助け合ったりするような関係が少なくなってくる、言い換えると、信頼関係が低下します。そしてその結果、健康問題が生じた、あるいは、死亡率の増加につながった、という関連性がわかってきました。
3)日本でも信頼関係が見直されてきている
日本はどうなのでしょうか。1960年くらいまで、日本社会は、アメリカのユダヤ人コミュニティと似て、しっかりと結ばれた家族構造や地域が特徴的であることが言われていました[6]。しかしながら、1990年以降の慢性的な不況や、構造改革やIT革命といったような社会的な大きな変化の時期を経て、現在は、貧富の差も拡大しつつあり、犯罪率も増加傾向にあります。はっきりと示した報告はありませんが、人間関係も疎遠になってきているように感じている人も少なくないように思われます。こうした背景によって、日本でも信頼関係が注目されるようになってきています。実際、その人の健康状態は、住んでいる地域における信頼関係が一部関係していることが示されています。そしてその、信頼関係と健康の関係は年齢構成や性別構成、収入にも影響されないとしている報告があります[7]。
4)信頼関係が強い地域に住むことが健康につながるしくみ
信頼関係が強い地域に住むことと健康との関係はどのようになっているのでしょうか。米国のハーバード大学の河内教授らによると、アメリカの州レベルでの検討では、ソーシャルキャピタルの高い地域は、低い地域に比べて、死亡率が低いことが報告されています。さらに、あなたの健康はいかがですか、という問に対して、「悪い」と回答する人が少ないとも報告されています。では、どうして信頼関係が強い土地に住むと人々は健康になるのでしょうか。このメカニズムは4つあるといわれています[8]。
(1) 健康的なライフスタイルの変化...
ヘルスコミュニケーションのところでもお話ししたような、ライフスタイルが健康に関係するという話です。つまり、信頼関係が強い地域では、健康に良いライフスタイルの人が多くなり、周りの人のライフスタイルに影響されやすいようです。また、一部の健康的なライフスタイルは、地域のルールとなっている場合があります。たとえば若年者の喫煙に対して大人が注意をする、といったことが、その地域では決まり事として定着していたりします。(2) 健康サービスが整っている...
信頼関係が強い地域では、健康や生活の安全に関する市民運動やボランティア活動、たとえばドラッグ防止や若者の喫煙禁止、飲酒運転防止の運動などが盛んであったりするようです。そして、行政や医療のサービスをうまく利用し、巻き込んでいます。(3) ストレスが少ないこと...
信頼関係が強い地域では、生活上の不安や、精神的な負担をもつ機会が少ないそうです。たとえば周り近所でのトラブルが少なかったり、安全に生活できたりすることから、ストレスが少ない生活を送ることができるようです。 また、こうしたストレスの要因が多少あったとしても、助け合ったり、うまく処理したりできるので、体の問題にはなりにくくなるようです。(4) 生活や健康に良い政治・政策がおこなわれる...
信頼関係が強い地域では、生活に安全、安心をもたらすような政治がおこなわれやすいようです。これは、こうした政策を掲げる政治家が選挙で選ばれやすいからです。5)コミュニティの信頼関係づくり
ヘルスコミュニケーションのところでふれたコミュニティという言葉を思い出して下さい。これまで述べてきた信頼関係は、コミュニティという単位で考えてきたものです。このコミュニティの信頼関係は、どのようにして高めることができるのでしょうか。人々の貧富の格差の拡大がこうした信頼関係の強弱の差を招いているというこれまでの事実からすると、社会経済的格差の縮小もまた健康推進にかかわる政治の重要な政策かもしれません。ただ、これは政策的な方向転換や抜本的な改革が必要で、そう近々には縮小が実現するようには見えません。もう少し現実的な方法としては、コミュニティの信頼関係そのものに対して何かするということではありませんが、たとえば、信頼や安全、安心、お互いの助け合いを大切にする意識といった要素を強めるように、コミュニティづくりを行うことが、そのコミュニティの信頼関係を強めることにつながりそうです。このことは、健康的な生活を維持・増進を望むみなさん一人一人が参加して、信頼ある社会を作ることにほかならないといえます。こうして作られた、信頼関係が豊かな地域社会こそが、そこに暮らす人々の健康の維持増進につながってくるのです。
3. オンラインコミュニティとソーシャルキャピタル
コミュニティといっても、人々が面と面とで向かいあうことができる場における関係ではなく、インターネット上での人々の集まりである「オンラインコミュニティ」と呼ばれる仮想のコミュニケーションの場もあてはまります。オンラインコミュニティは、たとえば、電子メール(メーリングリストを含む)、チャット、インスタントメッセージ(IM)、電子掲示板、あるいはブログ、twitterといった形態でインターネット上に存在しています。 このオンラインコミュニティ>においても、信頼や安全、安心、互酬性の意識、があります [9]。たとえば、消費者間オンラインコミュニティというものがあります。ここでは、さまざまな商品を含めて知りたい情報の入手、あるいは情報を批評しあうような場です。こうしたコミュニティではお互いに情報について、星をつけたりコメントを加えたりするなど、相互チェックをします。そうなると、そのやりとりそのものに対する信頼感が高くなりやすくなるそうです。こうしたやり取りがルールや風習となって、お互いの利益を高めることになるといわれています。
もう一つの例は、育児に大変な人やがんなどの病気を持つ人など、ある程度共通した悩みを抱える人たちのオンライン「セルフヘルプ(自助)グループ」といわれる場です。
こうした場には参加者自身のそのコミュニティへ参加する度合いが高くなります。そうして参加者同士の「きずな」が強くなるといわれています。また有益な情報を交換し合ったり、精神的にも励ましあったり、強い信頼関係が生じうる場であるといわれています[9]。
また、Web2.0の部分で説明しましたように、最近、良く利用されているQ&A型ウェブサイトにおけるコミュニティにも信頼関係が見られます。こうしたQ&Aサイトで回答する人たちは、良い回答するとポイントになるので回答をするのですが、基本的には自分のためだけでなく、質問をして困っている人のために回答をします。さらに、質問をしている人だけでなく、似たような疑問を持っている閲覧だけをする多くの人のために回答を書いています。Q&Aサイトの中ではお互いの利益になるという、互酬性、という感覚が強くなっています。これはお互いの信頼関係が強くなりうることを意味しています。
このようなオンラインのコミュニティの健康への影響についても、そこでの関係の密度が濃い場合ほど、人々は健康に関連した行動を新しく取り入れやすいという研究も出てきました[10]。オンラインでも身近になれば人の健康に影響を及ぼすということです。
しかし、こうしたコミュニティもまだ歴史は浅く、研究もまだ始まったばかりです。今後、研究をする人たちも、また利用者自身もこうしたコミュニティサイトに参加する際にはどのような態度で参加していくことが、より良いコミュニティになり、自分にとっても益があるのか考えていかねばなりません。説明するまでもありませんが、オンラインコミュニティは必ずしも国や地方自治体が作って守ってくれるわけではないのです。
インターネット上で情報を得るあるいは交換をする機会が増え、悩みを相談しあうような環境になってきている現在、こうしたオンラインコミュニティにおける信頼や安全、安心、互酬性の意識といったソーシャルキャピタルに注目し、より豊かなソーシャルキャピタルをもったコミュニティを皆さん自身の手で作り上げていくことが必要なのです。
(戸ヶ里泰典、大宮朋子、中山和弘)
文献
[1]Cohen,S., Lynn, G.U. & Gottlieb, B.H.:Social Support measurement and intervention,2000.
[2]久保真人,田尾雅夫:看護婦におけるバーンアウトーストレスとバーンアウトの関係ー.実験社会心理学研究.33-43.1994.
[3]内閣府「ソーシャルキャピタル調査研究委員会(委員長:山内直人・阪大教授)報告書」2003.
[4]Putnum R. Making democracy Work. Princeton University Press, Princeton, 1993. 川田潤一訳.哲学する民主主義ー伝統と改革の市民的構造.NTT出版、2001.
[5]近藤克則:健康格差社会 何が健康を蝕むのか、医学書院、2005.
[6]Blau, Z.S.: In Defense of the Jewish Mother, Midstream, 13, 42-49, 1967.
[7]市田行信:ソーシャルキャピタル―地域の視点から―、 近藤克則編:検証「健康格差社会」、医学書院、107-115、2007.
[8]Kawachi I. Social cohesion, social capital, and health. Berkman LF, Kawachi I. (ed) Social Epidemiology, 174-190. Oxford University Press, New York, 2000.
[9]宮田加久子:きずなをつなぐメディア―ネット時代の社会関係資本―、NTT出版、2005.
[10]Centola, D. The Spread of Behavior in an Online Social Network Experiment. Science, 03 September, 2010.
コメント
ガンファイター 2010年11月18日08:44
中山和弘 2010年11月23日23:53
ジャイアン 2011年5月16日21:55
メイキャット 2011年5月30日10:36
りんちゃん 2011年6月16日20:51
マブス 2011年6月19日15:04
リエリエ 2011年6月20日22:25
りんご 2013年3月29日16:51
てんとう虫 2013年4月11日13:05