第42回 最終回も「意思決定」について
毎日新聞コラム「健康を決める力」
毎日新聞 2021年3月11日 医療プレミア
先日、テレビを見ていたら、大坂なおみ選手が見事優勝した全豪オープンテニスの開催責任者のインタビューをやっていました。聞き手の松岡修造さんは、開催できたのはなぜか、そのために重要なことは何かといった質問に対して、「意思決定(make a decision)」という繰り返し返ってきた言葉が印象に残ったと言っていました。そして、日本人は意思決定が苦手で、自分もそれが苦手でトレーニングしたことがある、意思決定に大事なのは、何が重要かを考えることだと話していました。
今回で私のコラムは最終回になりますが、これまで意思決定の話を繰り返ししてきて、やはり何が重要かの価値観が問われると書きました。しかし、私も松岡さんも含めて多くの人が苦手なようで、うまくできない時、難しい意思決定の時には意思決定の支援が欠かせません。意思決定の方法を知る人が、それができるような手順を示して、何が重要かの価値観を明確にして、それに一致したものを選ぶ、すなわち納得して決められるように助ける方法です。
専門家が患者の価値観に合った意思決定を支援することをシェアードディシジョンメイキング(SDM、協働的意思決定)として紹介してきました。そして、最近、SDMをするとどのようなよいことがあるのか、日本ではまだエビデンスがほとんどなかったので、調査を行い論文として公表しました。ホルモン療法を受けている前立腺がん患者を対象とした共同研究でした。ここではその内容を紹介しようと思います。
その研究では、仮説が二つありました。一つ目の仮説は、治療法をSDMで決めた人の方が、納得して決めることができて、医師の説明にも満足していて、さらにはそれが治療そのものへの満足度につながるというものです。
二つ目の仮説は、医師から病気や治療に関して多くの情報を得たほうが、SDMにつながるものの、情報がいくら多くあっても、SDMが行われなければ、医師の説明への満足度や納得した意思決定にはつながらないというものです。
これらの仮説を図にしたものが下のものです。
SDMをどう測るのかについては、昨年12月のコラム「元ネタ増やす努力」で紹介したドイツで開発されたSDM-Q-9の日本語版を使いました。それは患者に対する質問で、「医師は、それぞれの選択肢におけるメリット(利点)とデメリット(欠点)を明確に説明してくれた」などの9項目に対して、「よく当てはまる=6点」から「全くあてはまらない=1点」で回答して、合計点を計算して得点化するものです。
患者が納得できる形で決められたか、言わば「納得した意思決定」を測る方法はどのようなものでしょうか。国際的によく使われているカナダの看護師の研究者が作成したもので、次の四つの項目への回答で測るものです。
1)十分な情報を得て選択したと感じている
2)私の決定は自分にとって何が重要かを示している
3)私の決定は変わることはないと思う
4)自分の決定に満足している
それぞれに対して、「とてもそう思う=5点」から「全くそう思わない=1点」で回答して、合計点を用いて得点化します。
「医師の説明への満足度」は、「初めてお薬による治療(ホルモン療法)を開始した際の医師からの説明にどの程度満足されましたか」という質問、「治療への満足度」は、「治療そのものにはどの程度満足されましたか」という質問に対して、それぞれ「非常に満足している=5点」から「非常に不満=1点」で回答してもらいました。
「医師から病気や治療に関する情報量」については、がんの広がり具合などの診断結果、再発の可能性など一般的な病気の説明、効果・副作用・費用などの治療法の説明、症状やこころへのケアやサポート体制の説明などの20項目について説明を受けたかどうかを尋ねました。そして、説明された個数を情報量として20点満点で得点化しました。
調査に協力してもらって分析した患者の数は、124名でした。得られた回答データを統計的に分析した結果、二つの仮説はいずれも支持されました。
一つ目の仮説では、SDMの得点が高い人ほど、「納得した意思決定」の得点が高く、「医師の説明への満足度」の得点も高くなっていました。これらの関連はとくに強いものでした。さらに「納得した意思決定」の得点が高い人ほど、「医師の説明への満足度」の得点も高くなっていて、これら両方の得点が高いほど、「治療への満足度」が高くなっていました。つまり、患者にとってはSDMで決めたほうが、納得して決められて、医師の説明にも治療にも満足しやすいという結果でした。
二つ目の仮説では、まず、「医師からの病気や治療に関する情報量」の得点が高いほど、SDMの得点が高くなっていました。これらの関連もかなり強いものでした。しかし、「医師からの病気や治療に関する情報量」からは、「医師の説明への満足度」にも「納得した意思決定」にも矢印を引けない、すなわち直接の関連はないという結果でした。つまり、SDMには医師からの多くの情報が必要であるが、医師からの情報が多くてもSDMを伴わなければ、納得して決めにくく、医師の説明にも満足しにくいという結果でした。
今回の研究では、患者を対象とした調査だけでなく、前立腺がん患者の診療にあたる医師150人にも調査をしていて、同様の質問をしています。SDMについては、医師が自分で患者にしていることを尋ねるもので、SDM-Q-9の医師版である、SDM-Q-Docの日本語版を用いています。9項目については内容としては同じで、医師に対して、例えば「患者に、それぞれの選択肢におけるメリットとデメリットを明確に説明している」という項目に「よく当てはまる=5点」から「全くあてはまらない=0点」で回答してもらうものです。患者の「納得した意思決定」「医師の説明への満足度」「治療への満足度」については、医師から見て、何%の患者がそうであると思うかを尋ねました。「医師からの病気や治療に関する情報量」については、医師に対して、いつも患者に説明しているかどうかについて、患者に尋ねた20項目と同じもので回答を得ました。
仮説としては、患者での二つの仮説と同様でした。分析した結果、ほぼ同様の結果が得られましたが、異なっていたのは、測定した項目間の関連が患者での分析よりも弱かったことです。SDMの得点と「納得した意思決定」の得点の関連は患者での関連よりも弱く、患者ではSDMが強く「納得した意思決定」に結び付いていたのに対して、医師では、それよりも弱くなっていました。言い換えれば、患者は「納得した意思決定」のためにSDMを強く求めているのに対して、医師のほうがSDMは「納得した意思決定」に結び付くと思う程度が低い可能性があるということです。同様に、SDMの得点と「医師の説明への満足度」の得点の関連は患者での関連よりも弱く、患者ではSDMが強く「医師の説明への満足度」に結び付いていたのに対して、医師では、それよりも弱くなっていました。言い換えれば、患者は医師にSDMを強く求めているのに対して、医師のほうがSDMは医師の説明への満足度に結び付くと思う程度が低い可能性があるということです。
ただし、この研究にも、限界や課題があります。患者と医師を対象としていますが、全く別々に調査したもので、患者とその主治医をペアにして調査できていません。そのこともあって、医師の調査で分析に用いた患者の満足度は、医師から見て患者は満足していると思うかと聞いているもので、実際の患者の満足度との関連を見ることができていないことなどが挙げられます。特定の病気の患者に限定されていますし、対象者ももっと多い研究が望まれます。
しかし、日本において、SDMを測定した研究がほとんどなかった中で、その測定をして、その効果を探ろうとした試みとしては評価されてよいと思っています。研究は積み重ねなので、また次の研究にバトンを渡していく作業が大切です。この研究を知って、自分も研究してみようという研究者が増えたり、そのような研究に参加したいという患者や市民が増えたり、そのような研究を応援したい、広く紹介したいという人が増えてくれればと思います。
やはり、こうして論文を書いても、海外の専門雑誌の論文を読む人はごくわずかですから、SDMが広く医師や患者や社会に広まっていくには、がんばって紹介するしかありません。こうした場所で紹介できるのはうれしい限りです。
健康や医療の研究は、どうしても病気の治療や予防の効果に注目されがちです。それ以外の研究の成果は目につきにくい状態です。例えば、私も分担執筆している中山健夫編「これから始める! シェアード・ディシジョンメイキング:新しい医療のコミュニケーション」(日本医事新報社、2017年)という本が出ているのですが、書店で見つけるのは難しいのです。
私も出た当初に探しに行ったのですが、相当時間がかかりました。医書のコーナーは、診療科別の診断や治療の本以外は、「医学よみもの」のような一般向けのものがメインです。そもそも、保健医療の専門家と市民や患者とのコミュニケーションやヘルスリテラシーなどをテーマにした本が少ないこともあって、そのようなコーナーがないのです。
見つかったのは医療事務や医療経営のコーナーでした。どちらかと言えば病院の経営や事務の方が対象ですので、私がそこを見ることはほとんどありません。医療者や患者が見ることも少ないでしょうから、書店ではなかなか売れないわけです。
そうなるとやはりインターネットは強い味方です。これからも、サイト「健康を決める力」で、研究の紹介をはじめ、役に立つ情報を掲載していく予定です。近いうちに、米国の政府系機関で作られた、「ヘルスリテラシーオンライン(Health literacy online)」というわかりやすい健康情報サイトの作成方法と、「シンプリープット(Simply put)」というわかりやすい資料や教材の作成方法に関するコンテンツを公開予定です。
引き続き今後ともよろしくお願いします。これまでお読みいただき、どうもありがとうございました。
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毎日新聞コラム「健康を決める力」
- 第1回 膨大な情報、適切に選択
- 第2回 多くの選択肢確保を
- 第3回 選択の自由 幸福感に
- 第4回 その情報、信頼できる?
- 第5回 元ネタは同じでも
- 第6回 信頼できる情報、どこに
- 第7回 情報をどう見極める?
- 第8回 統計理解しリスク回避
- 第9回 医学用語は「難しい」
- 第10回 対話で生まれる理解
- 第11回 記録文書を残す意義
- 第12回 「選択肢は一つ」は疑え
- 第13回 どんなものにも光と影
- 第14回 ギャンブルVS統計学
- 第15回 ストレス対処の「資源」
- 第16回 自己決定と幸福感
- 第17回 精神疾患が教科書に
- 第18回 子ども時に判断力を
- 第19回 手をとりあってこそ
- 第20回 平均寿命と平均余命
- 第21回 困難、課題対処する意思決定
- 第22回 看護週間 ケアの心を考えて
- 第23回 患者から「ティーチバック」大事
- 第24回 研究に患者が参加する意義
- 第25回 患者中心の意思決定のために
- 第26回 ヘルスリテラシーを測る
- 第27回 意思決定できるスキルを
- 第28回 行動できるかが大事
- 第29回 意思決定への自信を測る
- 第30回 自分にとって何が重要か
- 第31回 「からだ」「こころ」「社会」
- 第32回 長寿社会ニッポン 死と向き合う
- 第33回 「医療化」のリスク
- 第34回 「病気」が示す3つの側面
- 第35回 高齢者のコロナ対策
- 第36回 新型コロナ 意思決定の手助けに
- 第37回 数値が示す表と裏
- 第38回 「健康のためになる行動」とは
- 第39回 元ネタ増やす努力
- 第40回 「できる」という自信を持つこと
- 第41回 ヘルスリテラシーを
- 第42回 最終回も「意思決定」について