第38回 「健康のためになる行動」とは
毎日新聞コラム「健康を決める力」
毎日新聞 2020年11月9日 医療プレミア
新型コロナウイルスの影響で、病気やそれを疑う症状があっても、感染への不安などから医療機関での受診を控える傾向にあるようです。子どもの虫歯が増えているというニュースもありました。健康のために適切な行動を判断するのは、なかなか難しいものです(そういう私もそうです)。
公衆衛生学では、「健康のためになる行動」をしてもらうため、その行動を説明する理論があります。国際的によく知られているのは「ヘルス・ビリーフ・モデル」と呼ばれるものです。これは、個人の「信念」や「思い」から行動について説明を試みるものです。健康教育や患者教育をするのに不可欠な、基本的理論です。
いわゆる「メタボ健診」が始まるころ、出版社などから「医療者の中には行動に関する理論を知らず、保健指導に自信がない人が多いので、講演をお願いします。教科書も書いてください」と連絡がありました。私がウェブサイトでそれらの理論を簡単に紹介していたためです。しかし、日本では具体的にどのような指導をすれば効果があるのか、研究がまだまだ不十分で、「実践する根拠がない中、それは難しい」とお断りしました。
当時、メタボ健診の理論的・実践的根拠を厚生労働省のサイトで探しましたが、十分に検討されているとは思えない印象でした。先日、京都大の福間真悟・特定准教授らによる「メタボ健診は効果が薄い」という研究結果が広くニュースになりましたが、そのことも一因なのだろうと思いました。
そこで、ヘルス・ビリーフ・モデルを改めて紹介してみたいと思います。保健指導をする方もされる方も、これをもとに一緒に考えてみてください。
モデルでは、次の四つの「思い」によって行動が説明されると考えます。
(1)現在の行動による問題の起こりやすさ
今の自分が、ある病気(例えば、がん・心筋梗塞<こうそく>、脳卒中など)になりやすいとか、既に高血圧や高血糖などがある場合は、それが重症化したり、合併症が出たり、再発したりすると思いやすくなるでしょう。問題が起こる確率が高いと思うかどうか、とも言えます。例えば、世間である病気についていつも報道されているとか、家族がなったからとか、自分が不摂生をしているからとか、何らかの思い当たる要因があると、より強くなるでしょう。
(2)現在の行動によって発生する問題の重大さ
もし病気になった場合、それをどのくらい重大だと思うかです。治らない、仕事ができない、つらい生活が待っている、お金がかかる、といったことです。起こった問題に対する「価値」付けの意識ともいえます。
ここまでの二つはセットなので、少し解説します。一つ目の「問題の起こりやすさ」と、二つ目の「問題の重大さ」の二つを掛け合わせたものは、「リスク」の定義と一致します。これら二つで、健康に望ましくない「現在の行動」を維持することに対してのリスク認識を表しています。それが強くなれば、避けるような行動をとるだろう、という考え方です。
ヘルス・ビリーフ・モデルはこのように、「確率(起こりやすさ)」と「価値」で行動が動機付けされるという「期待価値理論」に基づいています。ここでの期待とは、行動の結果それが起こるだろうという主観的な「確率」のことです。
(3)新しい行動の利益や効果
次に、そのリスクを減らすために勧められる健康のための行動が、どの程度「利益や効果」があると思えるかです。例えば、早く受診をしたら、本当に重症化を防げるのか、病気を早期発見できるのか、といったことです。これは、行動に対してよいことが起こるだろうという結果への期待と価値になっています。
(4)新しい行動の障害
勧められた行動によって、利益とは反対に、「障害」や「よくないこと」があると思う程度です。例えば、受診するのは面倒くさい、感染のリスクがある、病気が見つかると怖い、高い治療費をとられるのではないか、というようなものです。
これら四つのうち、どれが最も行動に影響しやすいと思いますか。行動にもよりますが、四つ目の「障害」が影響している場合が多いことが知られています。例えば、検診に行くかどうかは、面倒かどうかが一番影響していたという研究もあります。私たちは、いつも合理的・理性的に行動しているわけではないですし、将来のために良いことをするより、まずは目の前の嫌なことを避ける性質があるようです。
ただでさえ、人には新しい行動をするかどうかを決めることから逃避するという傾向があります。「現状維持バイアス」や「不作為バイアス」といって、行動を起こして現状を変えることがベストの結果をもたらす可能性が高い場合でも、現状を維持して何もしないでいることがあるのです。
従って、何が行動の障害になっているのかを明らかにして、それに直面することやそれを取り除くための手助けが求められます。また、決めることから逃げている自分を見つけ、むしろ意思決定することで自分らしさを発見するのを楽しむ発想も持てるとよいのですが、これもまたサポートしてくれる人の存在が望まれるでしょう。
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毎日新聞コラム「健康を決める力」
- 第1回 膨大な情報、適切に選択
- 第2回 多くの選択肢確保を
- 第3回 選択の自由 幸福感に
- 第4回 その情報、信頼できる?
- 第5回 元ネタは同じでも
- 第6回 信頼できる情報、どこに
- 第7回 情報をどう見極める?
- 第8回 統計理解しリスク回避
- 第9回 医学用語は「難しい」
- 第10回 対話で生まれる理解
- 第11回 記録文書を残す意義
- 第12回 「選択肢は一つ」は疑え
- 第13回 どんなものにも光と影
- 第14回 ギャンブルVS統計学
- 第15回 ストレス対処の「資源」
- 第16回 自己決定と幸福感
- 第17回 精神疾患が教科書に
- 第18回 子ども時に判断力を
- 第19回 手をとりあってこそ
- 第20回 平均寿命と平均余命
- 第21回 困難、課題対処する意思決定
- 第22回 看護週間 ケアの心を考えて
- 第23回 患者から「ティーチバック」大事
- 第24回 研究に患者が参加する意義
- 第25回 患者中心の意思決定のために
- 第26回 ヘルスリテラシーを測る
- 第27回 意思決定できるスキルを
- 第28回 行動できるかが大事
- 第29回 意思決定への自信を測る
- 第30回 自分にとって何が重要か
- 第31回 「からだ」「こころ」「社会」
- 第32回 長寿社会ニッポン 死と向き合う
- 第33回 「医療化」のリスク
- 第34回 「病気」が示す3つの側面
- 第35回 高齢者のコロナ対策
- 第36回 新型コロナ 意思決定の手助けに
- 第37回 数値が示す表と裏
- 第38回 「健康のためになる行動」とは
- 第39回 元ネタ増やす努力
- 第40回 「できる」という自信を持つこと
- 第41回 ヘルスリテラシーを
- 第42回 最終回も「意思決定」について